書キグルイ

クルちゃんの雑日記。色々なこと書いていきます。キーワード:思考、看護、ADHD夫、ペット、料理、ボルタリング、一眼レフ、アニメ、読書、北海道、食べ歩き

持たない幸福論

本を読んだので、感想や学び等々を書いていきたいと思います。

仕事は手段

仕事を詰め込む方が効率的だという一般論がありまふが、pha氏はこれを目的と手段と目的の取り違えと述べている。
これには私も納得。常々感じていたことで、頭の端にあったモヤモヤを言葉にして貰えたという感じだった。
仕事自体は手段であり、仕事をした先に達成できることが目的。
具体的に言えば、最終的な目的は色々あるかもしれないが「仕事」という手段で「お金を稼いで私生活を充実させること」「スキルを身につけて人の役に立つ」ということが多くの人の目的を達成したいと考えるのが本来だと思う。
それを「仕事をする」ということを目的にしてしまっているのが現代人。
これでは、働くことに対する強迫観念にしかならず体調を崩してしまいます。目的を明確にして働けば、モチベーションにもなるし、適度なブレーキの掛け方も自ずと見えてくる。
私の場合は、私生活を充実させることが仕事をする目的。そのために、お金をがむしゃらに稼いだり、社会の役に立つため、私生活を割いてまで勉強をしようとは思わない。それが良いとか悪いとかではなく、それが私の価値観。

合わない場所に居座らない

合わない場所は逃げ出していいとpha氏は言っている。
学校の皆勤賞が良い例で、日本人は毎日働くのが普通。普通なのは良いけど、中には合わない人もいて、爪弾きにされることもしばしばあります。
私もできなくはないけど、毎朝起きて仕事に出かけることは苦痛です。それに以上に合わない人もいるし、そんな人はどうにか生きていく方法があれば逃げ出していい。
幸いネットも発達しているし、少子化に伴う人材不足も多くなってきているし、生きることが目的なら沢山の道がある。自分に合うような場所を探して、失敗したら戻ればいい。私は、そんな風に思います。
そんな私も昔は職場を一度でもやめたら終わりなんて思ってた。目的が最低限生きるになってからとっても楽。働くことに囚われすぎずに済むから、合わない→転職ってすぐに切り替えられる。
逃げとか言われるかもしれないけど、病むよりマシ。自分の安全が確保されてるからこそ、人に優しくできる。自己犠牲はなんのためにもならない。

ものは持たない

ものを持つということは、管理コストと空間的コストを抱えることになる。
今の時代、ビデオや車以外のレンタルも種類が豊富。ちょっと調べただけでも、服やバッグ、カバンといったファッション関係のレンタルがある。家具も家具付きの賃貸を借りれば、ある意味レンタルになる。
こう書くと世の中、必ず所有しなければならないものって意外に少ないのかも。所持しないことで、低コストで生きていける。そうすれば、身を削るような働き方をしなくてもいい。
家も昔はマイホームを持つことが理想的なんてイメージがあったけど、今はあまり当てはまらない気がする。
昔みたいに結婚して子供作って、マイホームで幸せに暮らすっていうのも多数派ではない。マイホームを立てた方が将来的にコストが掛からないとも言われるけど、結局、老朽化とか天災とかでランニングコストが掛かってくるもの。
それなら、管理会社が全部管理してくれる賃貸の方が楽でいいと思ってしまう。
私は断然、レンタル派。昔は所有したい派だったけど何でもかんでもそろえてたら、しんどくなった。今は

幸せを比べない

人はそれぞれ生きている世界や大切にしているものは違う。どれが正しいのか、どれが偉いのかとかはない。ただ、自分の空間の中で「自分が世界を作っている」「自分は何かしている」と充実感を感じられたらそれでいい。
このような内容が本の中で述べられている。
価値基準が違うから、他人と自分を比べて不幸になる必要はない。丁度、犬と猫を比べるように、杉が人より長生きだから良いなあと思うように、馬鹿馬鹿しい。
自分の価値基準をしっかり持ってそれを満たすことが大切。それが幸せと感じること。
それでも比べてしまう人や、他人のコメントが気になる人がいるなら「そういう宗教なんですね」と心の中で言ってみるといい。
これはpha氏がブログのコメントで批判された時などに思うようにしているらしい。痺れる。私もそうやって思うようにしたい。
価値観の違いを宗教に置き換えれば、相手の価値観や心情を受け止めつつ、それに振り回されずに済む。

気持ちが沈んだらすべて否定する

pha氏が本から得た知識をアレンジして作った考え方。
自己肯定と自己否定の軸、社会肯定と社会否定の軸を使う。
大体、調子が悪くなると自己肯定&社会肯定から自己否定&社会肯定という考え方に転じる。具体的には「仕事で失敗するなんて自分はなんてダメな人間なんだ」と思ってしまうような状態。
これはすごくストレスがあること。自分の首を絞めるような状態。
これをわざと自己否定&社会否定にする。「仕事もできないダメ人間を雇う会社なんかどうかしてる、そんな会社ぐらいしか就職できない自分も終わってる」というような感じ。
そうすると、すべてに絶望した状態の中で、日常的に起こる物事に小さな幸せを感じるようになり、自己肯定&社会否定へと移り変わることができる。否定し続けると「いや、あの会社が既に終わってた。私は悪くない」
そうして、開き直れるようになったら、小さな幸せを感じることができる。誰かに少し優しくされれば、それだけで世の中もまだまだ捨てたものじゃないなと思う。社会肯定&自己肯定に戻れる。
自分の調子が悪い時、このサイクルをいかに繰り返すか大切。そして、実際にやってみてこのサイクルは意外と使えることに気づいた。

幸せの偏りが個性

幸せの感じ方が偏ってるから、それがその人の個性になる。
本の中ではらあらゆる幸せを感じる脳になった人の話が載せられている。幸せを感じやすいのだから、その人は幸せなんだろうと思いがちだけど、その人は「自分がどんなことが好きな、どんな人間なのか分からない」と言うらしい。
つまり、幸せの感じ方の偏りが個性であり、幸せが生きる意味になる。だから、大いに偏った考え方をしよう。そして、自分も他人も幸せだと感じることは否定してはいけない。それは人の個性や生きることへの否定に繋がるから。

お金だけが豊かさではない

自分の中のものの見方を変えると日常はすごく忙しくなる。お金持ちも豊かさの一つだけど、ものの見方が沢山あるというのも豊かさの一つ。
pha氏は料理がおすすめと述べている。料理の方法を追求したり材料を自分で育てたりすると奥が深いものに早変わりするそうだ。そう考えると、筋トレ、犬、節約もどれも日常的だけど奥が深いもののように思える。
もちろん、お金も大事。けれども、自分の感覚や感情も大切。自分の感覚や感情を確かめるには体を動かして何かする、自分の手を動かして何かを作ることが大事らしい。
ご飯おいしい、犬が可愛い、お風呂に浸かって温まる瞬間が気持ち良い。こういった日常のことを丁寧に感じることが、自分の感覚・感情を大切にするということ。
これは、お金とは違った豊かさを持っているように私は感じる。日常のちょっとしたところに、幸せは落ちている。

1つの場所にこだわらない

1つの場所にいると、グループが崩壊したときにリスクが高い。色々な場所に顔を出しておけば、リスクの分散になる。
グループを軽く見ているとかではなく、実際は人の事情は、数年もすれば変わる。変われば今までのようにはいかない。グループが崩壊したり、居心地が変わるのは当然の流れ。
極論を言えばグループメンバーが皆死んでしまったら居心地も何もない。グループ自体が維持できない。ただ、メンバーが死ぬというのは100%訪れることだということだけは言える。
だから、複数の場所に自分の居場所を作っておく方が得策と言える。

普通は普通じゃない

人間は自分の生まれた時からある当たり前を大昔からあるもので、当然のものとしてみる傾向がある。
例えば、結婚して子供を作ってマイホームを買うことが普通だという人が多い。
pha氏は、これを「頭が古いから気にしなくていい」と言っている。時代の勉強をすれば、結婚して…という古い常識が、いかに歴史の浅いものかわかる。最近できたばかりのものをさも昔から当然と考えられていることだと言うのはイマイチ共感できない。
今は自由恋愛が普通だけど、お見合いはちょっと古い。ネットの出会い系はどうなんだと思われていた頃もあったけど、今はアプリなどを使った出会いが割と多い。
時代は移ろう。昔を引きずるひとは、変わっていく時代についていけていないだけ。